そこいらの気になる人物編 田口孝子さん ①



このたび紹介するのは、田口孝子さん。
一体何者だろうか。
という出だしになりましたが、言わずと知れたウチの妻です。

自分の妻のことを紹介するのは、ついにヤキが回ったとしか思えない訳ですが…。
自分はどう書かれるか興味があると言ってたので、とりあえず書いてみました。

しかし、書き始めてみると、この人は妻や母親としての要素を取っ払ってもなかなか面白い人物ではあります。

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どうやら生まれて言葉を覚えてからというもの、「イヤ」「ダメ」「キライ」の三語を駆使して、幼少の頃から世の中のあらゆるモノに反抗しながら成長してきた様です。
「どんだけ〜」「まぼろし〜」「背負い投げ〜」より少しはマシか。



同居の義父本人の話しによると、義父は若い頃にはなかなかのロクデナシっぶりで相当なギャンブル好きだったようです。
競艇場とオートレース場の間にある蕨がいかに便利かということを力説してくれました。
なるほど、これも蕨の魅力です。
退職金を全てギャンブルにつぎ込んだと豪語しているので、当時の家族がいかに苦労をしたかが伺えます。
彼女が早くに家を出たのも、ある意味仕方ないというしかない。



孝子さんは看護学校を卒業して一定期間働いてから、仕事を辞め本能の赴くまま自転車で北を目指す。
辿り着いたのがアイヌの部落で、農業を手伝いながら一年間をホームスティで過ごす。
その後アイヌとして国会議員になった萱野茂氏らと共に沙流川流域に作られるダム問題に、地元の人間として参加し激しく戦ったらしい。
この時戦った相手というのがぼくが高校生の時に感想文を書いた学校指定の本の作者で、その話を聞いた時にはちょっと怯んだ。

彼女は、この北海道での経験から人間の肩書きというものを恐れることなく戦える様になったようだ。
今でも、恐れているのは熊と猪と銃だけ。
残念ながら十字架もニンニクも効かない。
残念だが。
後年どんなドクターにも負けない強いナースになる下地がここでできあがった様だ。

その後東京に戻り、病院で働き始める。
長く老人を専門にしたキャリアを積み、現在は戸田市内の病院に勤務している。

雨を降らせる力はないものの、口から火を吐くことでは良く知られている。
ぼく自身も過去に数回灰にされた経験がある。
とにかく、よく燃えた。



病院では、長く終末期医療に携わっている。
年齢によるものか才能によるものか老人とのコミュニケーション力に長けていて、最後は本人の意思で前向きに次のステージに旅立っていただくことについて、担当した患者のご家族には定評がある様だ。
最後の不安を安心に換える能力は、たしかに様々な人生経験によるところが大きい。

三途の川のほとりにいて、行き先を決める奪衣婆とキャラクターがカブるため、現在商標権をめぐり係争中。



これまでもかなりアクティブに活躍をしていて、楽器をやっていたり妊娠中も阿波踊りに参加したり登山にも出かける様な人物でしたが、もともと心臓に病があったので、息子の出産の時はちょっと大変でした。
手術は無事に済みましたが、心臓が強いという表現とリアルには差があるということをこの時に知りました。

目の前で1日のうちに何人かが亡くなっていく様な職場というのは、日本ではこの仕事の他に存在しないはずです。
メンタルをやられてしまうスタッフも沢山いるそうです。
最近はハードワークで疲れぎみの様なので、犬の散歩で見かけた際には一緒におやつを与えてあげてください。




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