そこいらの気になる人物編 田口孝子さん ② 北海道のはなし



前回のブログで多くの方が妻の毒にあたってしまった様で、続きが読みたいというリクエストが多くて驚きました。

IMG_3710.jpg

ぼくも若い頃に会った訳じゃないので、あらためて北海道にいた頃のことを本人に聞いてみました。

そもそも北海道と聞いて何を思い浮かべるか。
鮭、イクラ、ホタテ、ウニ、ホッケ、にしん、スルメイカ、ロッカク、ししゃも。
いくらでも出てくるけど、全て魚介類。
「山あつ」とか「くりはら」なら、お願いしたらどれも食べられそう。

他には、と考えて思い浮かんだのが「マリモ」。
残念ながら陸地についてはまるでイメージができない。

妻の話を聞いても、そもそも北海道の地名と位置がよくわからない。
そんなレベルで書きましたので、記述に誤りがあったら、そこはご勘弁を。



その頃、ぼくも魚が心配で全国のダム建設の問題や長良川河口堰、諫早湾の干拓の問題はかなり気にしていました。

その中のひとつ沙流川流域の二風谷ダムの問題についても、当時の久米宏さんの番組の特集で観た記憶があります。

今回は孝子さんはなんでアイヌの中に入っていたかのかという話しです。

前回書いた通り、自転車で道内を巡っていた時にたまたま泊まったところがアイヌの方が経営するライダーハウス。
その当時は若い女性が自転車の一人旅で、しかもそんな宿に泊まること自体が珍しかった様だ。
いろいろと話しをしているうちに、別のアイヌの方から、明日アズキの草取りに行くかという話しになり、それ以降の予定をキャンセルして、そのまま居ついて農業を手伝うことになったらしい。

IMG_0643.jpg
※当時の様子。この場所がダムに沈んだらしい。運転しているのは本人。

その方はアイヌの中ではかなりの重鎮だったのですが、持ち前のコミュニケーション力ですぐに家族のように生活するようになった。
そんな流れで当時の発生していた二風谷ダム建設の問題で、一緒になって現地の人として国を相手に激しい攻防をしたらしい。

途中から興味を持っていた僻地医療にも参加して、現地の病院に勤務することになる。
他に病院がない環境では、看護師としてあらゆるジャンルに対応しなきゃならなかったので、かなり大変な職場環境だったようだ。

救急隊員を怒鳴りつけて大立ち回りを演じたのもこの頃の伝説。
よく言われる誰もいない部屋からのナースコールも経験したそうだ。
たしかに、心臓が強くなるはず。
脅かすモノノケにしても張り合いがない。

後に全身刺青の人や暴れる患者などと何度も渡り合って現在まで連戦連勝中なので、到底ぼくなどが叶う相手ではない。
ある意味、メンタルでは霊長類最強ではなかろうか。
さすがに50歳を超えて衰えてはきたが、それでも一声でブルドックが震え上がるだけのパワーは今も健在だ。

当時は農耕用の機械や馬も乗りこなし、アイヌの踊りも身につけて、観光客に披露したり教えたりもしていたそうだ。

その後、お世話になったその重鎮のアイヌの人が亡くなることになりますが、その葬儀の際にもあたかも親族の様に動き回っています。

この頃、外部の人間でここまでアイヌに深く入り込めた人は他にいなかった様です。

とんと昔のことじゃそうな。

IMG_4153.jpg
※最近の様子。ここは埼玉県。運転しているのは別人。



この記事へのコメント